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新しい視点で老人クラブを捉える 

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幸福な老いの実現 きらく会 齊藤章

 どうすれば幸福な老後を送れるのでしょうか。結論を先に言えば「心の持ちよう次第」となります。こう言ってしまえば身も蓋も無いので、これからしばらくああでもないこうでもないと論じてみたいと思います。

老年が惨めだと人々に思われている理由を何点か挙げてみましょう。
1.公の活動から引退させられる。
2.肉体が弱くなる。
3.快楽を奪い去られる。
4.死が近くにある。

さらに、否定的諸特徴をうんざりする程挙げてみたいと思います。
5.失敗、悪い経験を重ねているので、何事につけてもひがみ根性になり、臆病である。
6.基本的に倹約家である。なぜなら、財産を手に入れるのは大変だが、失うのは簡単であることを良く知っているから。
7.生への執着が強く、
8.自己中心的で、
9.過去の記憶に生きているので容易に希望をいだかず、
10.怒りには燃えやすく、
11.品性や徳を重んじるよりも損得勘定で動き、
12.よく愚痴をこぼす。

 さて、ここから反撃です。確かに、私たちは加齢による肉体的衰えを否定できません。しかし、精神の力、知的能力の方は増強されている可能性もあるのです。老年になって、様々な欲望や情欲から解放されて、平和と平安、自由が増し加わっている可能性が高いのです。結局、不幸の原因は老年にではなく、その人の性格にあり、自立、自足で、端正に生きてきた人にとって、皆さんのことですが、老年は苦にならないのです。ただ、これは、年金制度がある程度充実している今だから言えることで、人物がどんなに立派でも、貧乏であれば老年は楽ではないかもしれません。貧しさのために他人を欺いたり、出すべき寄付金を惜しんだり、借金を返さずに不正を犯したままの世渡りでは、なかなか幸福にはなれません。この不正を犯した覚えがないということは、非常に大事なことで、いわゆる正義に生きるということは、つねに楽しくよき希望がある老年を送るために欠かせない要素です。

 ちょっと気になる死についても触れてみましょう。私たち人間は、古来より不死となることを願ってきましたが、死ななければ良いというものでも有りません。生きてはいるが、身体の自由を奪う老化が限りなく進行していくとしたら、わたしたちは命の永続を望むでしょうか。死こそは老年の長い苦しみから人間を解放してくれる良きけじめです。

 老人会への加入者が減っています。老人、老年の言葉のイメージを変えなければなりません。恥辱と哀愁の老年というイメージから、名誉と特権の年代として、信義を重んじ、必要な時に老練な知恵と助言で人々を正しい方向へ導く、老賢者の像を示そうではありませんか。


2020年 森林公園朝の体操

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2017年 迎賓館

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2017年 例会

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2017年 三渓園

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2016年 高尾山旅行

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読書のすすめ きらく会 齊藤章

      生きていくあなたへ
   105歳 どうしても残したかった言葉


 著者の日野原重明先生は、1992年から4年間聖路加国際病院院長を勤められ、その後、皆様の多くが御存知の通り、100歳を超えてなお現役の医師として働いておられました。この本は、2017年に105歳で天に召される直前に書かれたものです。「生涯現役」を絵に描いたようなお方でした。日野原先生の生き方から、私たちが学ぶべきことは、非常に多いのではないでしょうか。

言葉を杖とする

 単なる長寿ではなく、脳の働きが正常な状態での長寿にこそ意味があります。脳の働きをいつまでも正常に保つ方法とは何でしょうか?日野原先生は、それは「言葉」だと言います。ヨハネによる福音書冒頭にこうあります。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」。人間は、正しい言葉を、正しい場所で、正しく使わなければ、複雑な思考は出来ません。

死は終わりではない

 日野原先生は「死」は恐ろしいと言います。死を考えるから「どう生きるか」の答えが得られるとも言います。人生100年時代といわれる今日この頃です。70代、80代の私たちですが、これからの20年、30年を、どう生きるかを考えるチャンスでもあります。

愛に生きる

 日野原先生は、「僕は幸い、周囲の人に恵まれ、たくさんの愛を頂いてきました」、と言います。たまたまですが、先生の別の著書が手元にあります。「キリスト教では、『受けるより与えるは幸いである』と説き、・・」。日野原先生はきっと、惜しげもなく、周囲の人に愛を与えてきたのだろうと、私は思います。周囲の人に恵まれたというよりは、愛を与えた結果として周囲の人から返ってくる愛を、誰よりも感性豊かに感じ取れたのであり、結局、先生の愛の大きさの故にだったのだろうと思います。

ゆるすことは難しい  

 日野原先生は「ゆるす」という漢字を3つ挙げています。許す、赦す、恕(ゆる)す、です。そして先生は、相手のことを自分のごとく思う心という意味の「恕す」を採用しています。相手を自分のごとく思うということは、相手をゆるすことが自分をゆるすということに他なりません。だからゆるすのは相手のためではなく、自分のためにする行為なのです。「どうしてもゆるせない人」をゆるすのが本当の意味でのゆるしです。信仰の力を借りなければ難しいのかも知れません。

大切なことはすぐにはわからない

 突然の災害で家族を亡くした悲しみを乗り越えられない。昔から私は運が悪い。この様な方々に日野原先生は寄り添っていきます。耐え難い悲しみ、越えられない困難。その様な体験の先に、大切なことが見えてくると先生は説きます。「愛することは信じることであり、信じることは待つということなのです」。希望があるから待つことが出来ます。

未知なる自分との出会い

 日野原先生の健康長寿の秘訣は何だったのでしょうか?食べることや健康習慣だけでなく、美容にもそれなりに気を使っているのですと言います。さらに、いちばんの理由は、常に新しい自分との出会いを大切に過ごしているからではないかと思いますと言います。過去の自分のやり方や、自分はこういう性質だと決めつけずに過ごしていると、毎日が自己発見の連続なのですと答えています。  何か新しいことを始めることで、日野原先生の場合はそれが絵画だったのですが、新しい感動が得られるとも言います。感動に出会えることが、未知なる自分との出会いでもあるのです。

 まだまだ、私たちが考えなければならないことは尽きません。日野原先生の本をガイドに思索の旅を楽しみましょう。

 

   


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